通だなと思われる実用三国志エピソード5選

三国志がさまざまなメディアで取り上げられることになって久しい。漫画、アニメ、ゲームなどさまざまな広がりを見せてはいるが、そこで問題になるのは「にわか」の存在である。
「にわか」は、どのジャンルにおいてもそうだが、それがあることでそのジャンルは経済的に発展するともいえるし、しかし、にわかによってそのジャンルが衰退するという事象もある。
我々、「三国志が好きだった教室の隅によくいる小学生」出身者としては、三国志にとって現在の状況が芳しくないという事は肌で感じている。このままでは、「にわか」どもに、三国志を消費されつくされてしまう。既に、「にわか」の侵食により、女体化、やおいどものカップリング戦争、エロ漫画化、パチンコ参入というように、1000年の物語は資本主義経済によって散々に消費され蹂躙されまくっているのだ。
ここは一つ我々が、「通だな」と思われる三国志エピソードを再確認し、なおかつそれを実用のレベルで使うことにより、三国志を「にわか」の手、もっといえば、やおい共や資本主義者、フリーメイソンや創価学会員達から奪還し、世界平和、ひいては天下統一への道しるべともなればと思っている。
以下の五つのエピソードは、実用度が高く、さらに特に通が喜ぶエピソードを挙げてみた。是非とも参考にして頂きたい。

1 王累「我が言葉か聞き入れられなければ、今すぐにでも紐を切り、頭を打ち付けて死にますぞ」

益州という地方の牧(長官)だった劉璋という君主。敵勢力の脅威に怯え、三国志演義(物語)の主人公である劉備へ自領内の防備を依頼しようとした。しかし、野心家の劉備を警戒した文官たちは、劉璋を諫めるものの、劉璋は聞き入れない。
劉璋の馬車が劉備を迎えに行こうと城門を出ようとしたとき、王累という文官が城門で足をロープでしばり剣を持って逆さ吊りになっていた。
「一国に二君は並び立たず!」みたいなことを言い、この諌言が聞き入れられないなら、このロープを切って死ぬ、と主君を半ば脅迫する。
そんなことで政治決定が覆るわけもなく、劉璋は無視して通り過ぎると、演義(物語)ではそのままフライングヘッドバッドを地面にかまして頭を打ち死亡した(史実でも縄を解いた後首を斬り自決)。
 
このエピソードのすごいところは、逆さ宙吊りになって人に意見を聞かそうという心意気である。数ある諌言エピソードの中でも群を抜いたインパクトだ。なかなか人は逆さ宙吊りで人に意見をしようだなどとは思わない。
不振にあえぐ営業の方など、「逆さ宙吊り」で先方にアピールしてはどうだろうか? 万が一プレゼンが上手くいかず失敗して地面にフライングヘッドバットで頭を打ち死亡しても、そのインパクトは一つの伝説になるに違いない。

2 姜維「閣下とお会いするのは、まだ早すぎるくらいです」

蜀(三国のうちの一つ。国の名前)の諸葛亮の後継者として奮戦する姜維。だが頑張りむなしく、魏の鐘会らによって破られ、蜀は前線の姜維を残して降伏してしう。
そんな鐘会に、姜維は会見することとなる。
なかなか姿を見せなかった姜維に、鐘会は出会いしな、「来るのが遅い」と攻め立てるが、姜維は「閣下とお会いするのは、まだ早すぎるくらいです」と、切り替えした。
鐘会は姜維の堂々とした態度に感嘆したという。
要するに「主君は降伏したけど私はまだまだ戦えたんですよ」という事なのだが、降伏した将が遅れてやってきてこの威勢というのはかなり格好いいのではないか。その後姜維は鐘会の部下として暗躍するのだが、なんだかんだあって野心が空回りして二人は滅びてしまう。
それはさておき、立場の悪い人間が遅刻しておいてこの格好よさ、威勢のよさは、実生活でも使えるのではないだろうか。
たとえば、仕事の納期が遅くなり、クライアントに遅延のお詫びの挨拶に行く場合などどうだろう。わざと約束の時間に送れ、「納期が遅い」となじるクライアントに、「
この品を納入するのは、まだ早すぎるくらいです」と言い放ってやるのだ。
ぶん殴られる事だろう。

3 公孫瓉「百の城楼は攻めず、と言う。今、我が城楼は千重にもなっている。」

公孫瓉は北方で活躍した群雄の一人である。演義(物語)でも、主人公格の劉備の兄貴分として初期には活躍するのだが、その群雄の最後の戦いが、エリート君主・袁紹との決戦である「易京の戦い」である。
公孫瓉はこの戦いで、徹底的に守りに入る。高い楼閣を築き、そこに居住。側近を遠ざけ、公文書も下から吊り上げさせたという徹底ぶりだ。兵糧や武器も10年は持つ備蓄があり、とにかく引きこもりの構えである。
そんな体勢を築きあげ放った言葉が「兵法にも、城郭が100個もあるような守りの堅い城は相手にするべきではない、と言われている。今私の城は千重に守りを固めている。誰も相手にするはずがないだろう」とのことだ。
すごい自信だ。その上、なにか猛烈に後ろ向きな感じがある。そこに私は強烈に惹かれる。
そんなわけでこのエピソードは、いままさに引きこもりをしている方に参考にして頂いたらどうだろうか? なかなか部屋から出てこず、心配した母親に対して、こう言っ
てやるのだ。「100日引きこもっている人には普通相手にしない。今私は1000日引きこもっている。一体誰が相手になどするものか」、と。
なお、公孫瓉の言葉には続きがある。「悠々と穀物を食い尽くしている間に、天下の事態の行方を知る事が出来よう」。
これは、引きこもりの方に、ますます言ってもらいたい。「家の貯金を食い尽くしているうちに、私の人生の行方を知ることが出来よう」、と。
史実では、残念ながら公孫瓉は袁紹にトンネル作戦によって地下から攻められ破られている。引きこもりの皆さんは、地下からの攻撃によくよく注意して頂きたいものだ。

4 公孫瓉「有能な人物を取り立てても、誰もわしに感謝しないだろう」

またもや公孫瓉で申し訳ないが、公孫瓉は役人の家の子弟に優秀な人材がいると、決まって故意に困窮に陥れ、凡庸な者を重用したという。どうしてそんなことをするのかというと、「立派で有能な人物を取り立てて、彼らを裕福にしてやったとしても、彼らは自分がそのような官職につくのは当然だと考え、わしに感謝しないだろう」という理屈だ。
公孫瓉にとって人事とは、自分がちやほやされたり、感謝されるためのものなのである。これは大いに共感できるエピソードではないか。
さっそく人事の方に見習って頂いたらどうだろう。誰かに「どうしてあんな人雇ったんですか? 中途採用で、履歴書に空白が多いですし、転職歴もひどい。そもそも面接にTシャツに茶髪、鼻ピアスで来て、おまけに下半身丸出しじゃありませんか」と言われたら、ゆったりと構えて、タバコでもふかしながら言うのだ。
「だって有能そうな人を雇っても、みんな私に感謝しないじゃない」
前述の通り公孫瓉はエリート君主の袁紹に散々打ち破られている。

5 公孫瓉「皇帝になれるほどの人物なら、雨くらい降らしてみろ」

しつこいようだが、また公孫瓉のエピソードである。
「皇帝になれるほどの人物なら、天から雨を降らせることができるであろう」というセリフは、中国北方で覇を競い合っていたライバル群雄である劉虞を処刑する前に言った言葉
である。
いろいろあって公孫瓉は劉虞を撃破し、捕縛した。
さて、この劉虞という人物は、演義(物語)では登場しないのでいまひとつマイナーなのであるが、高潔な君主であり、民衆の命を守ろうとするあまり城攻めをモタモタしてしまうというお人よしな人柄であった。
そのため民衆の人気も高く、皇帝の一族でもあり、一時は「次期皇帝に!」と周囲に推されて断ったという経緯もあるくらいの「超エリート」であるため、劉虞には除名嘆願が数多く申し込まれた。
当然、我らが公孫瓉には面白くない。
そこで、前述のとおりの無理難題である。季節は真夏。とても雨など降るわけもなく、超エリートを市場に引き回しにしたうえ処刑した。
なんともスカっとする話ではないか。
ここは公孫瓉に習い、我々も東大出身のエリートを上手い具合に捕まえたら、市場に引き回してみんなの前でこう言い放ってやろうではないか。
「東大に入れるほどのエリートなら、鼻でピーナツを噛んで飲み込んでみろ」
「東大出身者なら、今すぐにパンダに化けて皆に愛されてみろ」
「東大の力を使って、無から和菓子を出してみろ」
「今すぐ俺を東大に入れろ」
なんか、きっと、すっとするに違いない。
ちなみに公孫瓉は先ほども言ったように、エリート君主の袁紹にこれでもかというほど打ち破られ、その一族を皆殺しにされている。
ここまで三国志の中でも通なエピソードを並べてみた。他にももっとすばらしいエピソード……例えば、
「公孫瓉は異民族のために施された恩賞金を全部横取りしていた」とか、「公孫瓉が篭城中、味方の将が包囲されてしまったが一切救援せず、『一人を助けたら他
の大将が救援をアテにして全力で戦わなくなってしまうからだめた』と言い訳して皆に失望された」だとか、
「公孫瓉が悪夢を見て、息子に気をつけるようにと使いを送ったら、その使者が敵の斥候に捕まってしまい、それがきっかけで進めていた作戦が全部バレてしまった」などなど、味わい深い話は山ほど三国志にはある。

皆さんも、やおいやギャルゲーと化した三国志ばかりに触れず、こうした通のエピソードに触れて、より深く、より楽しく、より公孫瓉らしく、三国ライフを充実させてみてはいかがであろうか。ちなみに、光栄のゲームの「三国志11」では、公孫瓉の知力は70となっている。
公孫瓉にはぜひとも頑張って頂きたいと思う今日この頃である。