20年後のファミ乞食

小さい頃から目が悪かったのでファミコンを買ってもらえなかった。
しかし、時代は90年代前半。任天堂の全盛期だった。

ファミコンは友人の家でやった。
自宅にファミコンのハードがなかったので僕は友人たちから「お前ファミコンやりにうちに来てるだろ」といわれることもあった。

もちろんそうさ!
お前などファミコンの付属品さ!
俺はゲームを進めておくからお前ははやく居間から麦茶とおっとっとをもってこい!
などとは言えなかった。

ただただ、申し訳なさそうに否定する情けない小学生、言うなれば僕は「ファミ乞食」だった。

ところで、子供の飽きっぽさは凄まじい。
彼らは一週間熱中した翌週には、嘘のように違う遊びを始めている。ファミコンのソフトもそうだった。
ある日、ソフトに飽きつくした僕らはファミコンをバグらせるという偏屈な遊びを始めた。
ソフトをあえて傾けてさしこむことで、予測不可能なバグった世界を画面に出現させた。

マリオブラザーズは、おどろおどろしいモザイクのパッチワークの動きを楽しむメディアアートになった。

ドラクエ4はやばかった。
文章が全て言語障害を帯びた。
ライアンの初期装備は「よわのよろめ」という非常によわよわしいものになった。
全て墓標で敷き詰まった町やフィールドは世界の終わりを感じさせた。スライムは水色の吐瀉物だった。何発もなぐると
「まもももむみょ やっつちた!」
という謎の言語で祝福される。
ダンジョンは階段で敷き詰まっててどれが本物の階段かわからない。
難易度とシュールレアリズムをマックスまで上げたドラクエ4(ダダバージョン)を発狂したかと思うほどゲラゲラ笑い転げながらプレイした記憶が残っている。

そんな遊び方の発想は、もう思いつかないかもしれない。

そういえば、架空のゲームの攻略本を作った事もあった。
ゲームタイトルは「うんこでファイト」
キャラクターは10人いて、主役はうんこ太郎とうんこ次郎とちんこ太郎という、全小学生男子の心を鷲掴みにするネーミングセンスを僕らは遺憾なく発揮した。残りの7人の名前は忘れてしまった。
ゲームのジャンルは格闘ゲームで、システムのほとんどは超武闘伝のパクリだった。エネルギー弾がうんこに、エネルギー波が下痢に代わっただけだった。
授業中にみんなでノートを回し、心をときめかせながら僕は攻略本の進行を待った。

←タメ →同時 P ••• しっこ光線
とか
→←→P ••• 下痢ビーム
だとかを、手書きのイラストつきでみんなにたにた書いていた。
やっぱり子供は病気か天才だ。
もしいつか、自分に子供が出来てそんな本作ってたら容赦なく燃やせる大人になろうと思う。

その本の最後には「説明書には書いてない隠し技のコマンド集」のコーナーがあった。
そもそもゲーム自体が架空なので説明書なんてあるわけがないのに、僕らには難なく「あるもの」だと認識できていた。

なかでも、Tくんの考えた隠し技は壮絶だった。

コマンドだけでノートが三行埋まっていた。
十時キーをごちゃごちゃに操作し、ところどころにボタン連打や同時押しが盛り込まれた、人間の指で絶対に追えない(っていうかコマンドを暗記できない)のに、操作を何秒以内にしなくてはいけない、という地獄のようなコマンドだった。

そのコマンドには、ノート2行分の長い上に理解不可能な技の名前が書かれていて、その下に数点のイラストが添えられていた。
1点目は、技を出した時の画面
(蛍光ペンでカラフルに彩られていてサイケデリックだった)
2点目は、技を食らった敵キャラの画像
(黒焦げでぐちゃぐちゃになった物体が「おかわり!」と言っていた、なんで?)
3点目は、コマンド入力に成功し技を出したゲーマーのイラスト
(指が爆発して死亡。はんぱない)

「うんこでファイト」がもし発売されてたら、ゲーム業界で伝説になっていたと思う。なにせ隠し技を出すと爆死する前提で作られたゲームだ。絶対にやばい。

その攻略本の編集はひと月もしないうちに飽きられ、どこかにいってしまった。
編集長だった僕は、ノートが自分のもとへ戻ってくるたびにワクワクしながら友人の脳みその中身に触れた。それは家にファミコンがなかった奴の自分なりのゲームの遊び方だったんだと思う。

20年近くが経った。
皮肉なことに、目の悪さを心配されていた僕は大人になってPCと携帯の画面ばっかり視る生活に身をおいている。
ゲームをする習慣は身につかなかったけれど、攻略本作りはこのサイトelegirl.netでやってることと同じようなものだ。(つながった!)

眼科にいかないとな。