去る3月11日、多くの人達がそうだったように僕の日常も様変わりした。
僕は福島県南相馬市原町区の住民であり、あの震災で所属会社は損壊し、何より原発事故の影響で全ての活動がストップ。現在限りなく廃業に近い休業状態にある。
一時的に新潟の避難所へ逃げたものの、そこでの生活に疲れて再び原発30km圏内の我が家に戻ってきた。
この原稿を書いている4月13日現在、僕のいる地域は屋内退避区域と緊急時避難準備区域に指定され、原発の危機レベルは5から7に引き上げられている。
そして絶える事のない余震と、強風や雨に怯える日々。
と、暗くなるような書き出しになってしまったが、僕はこの如何ともし難い現実にただ打ちひしがれて生きているわけではない。
民放のCMで垂れ流されている道徳的に綺麗なだけのメッセージにムカつく神経もあれば、この非常時に仙台まで出向き、渋さ知らズのフリーライブで踊り狂う元気だってあるのだ。
先日東京の高円寺で行われた反原発デモの盛り上がりをtwitterやUSTで見た時は興奮したしね。
そう、大きすぎる悲しみや虚しさの中から逃げ出すのに即効性があるのは、それを一瞬でも忘れさせてくれるような怒りと楽しみである。
そして僕は今、このelegirlなる怪しげなサイトの運営者から、「被災地で聴きたいJ-ROCK5選」というふざけたテーマで原稿を書いてくれとの依頼があり、これを書いている。
まあ折角だ。これも楽しんでみようじゃないか!
1,奥田民生
「ガソリンガタリン」
曲名からして実にタイムリー。地震直後、車持ちの被災者達を最も苦しめた事象はガソリン不足だった。
この曲で描かれているのは、夜中に見知らぬ山の中でガソリンが尽き、近くにスタンドもないし助けを呼ぼうにも携帯の電波も届かず、車自体の調子も悪いというアンラッキーが重なる状況である。
ガソリンの供給そのものが滞った今回の件とは違うが、僕はこの曲を聴くと、福島第一原発の3号機が水素爆発を起こした直後、最小限の荷物で慌てて家を飛び出したはいいが、新潟に向かう途中でどうやらガソリンがもたないと気付いた時の絶望感を思い出す。会津に着く直前で引き返し、福島県猪苗代町の旅館に滞在して周辺のスタンドの様子を毎日祈る思いでチェック。しかしどこも入荷の見込みはなかった。嵩む滞在費。不安と焦りが募っていく。
このようなガソリンガタリン状況の中でしかし、曲の主人公は自分自身にこう投げかける。
腹を立てるなよ 余裕を失うなよ 成功を祈るのよ 次の町に行かないと
アラを探すなよ 新車を見に行くなよ 愛情を注ぐのよ ドアを蹴飛ばすなよ
相棒を信じなよ 君の町に行かなくちゃ
八方塞だと嘆きはしても冷静さを失うな。癇癪を起こして周りに当たるな。自分と行動を共にする仲間を信じて疑うな。そういうことだろう。
震災後、物資や燃料を求めて殺到した被災者達が各地で軋轢を起こしている。出口の見えない不安の中でストレスが溜まるのは仕方ない。しかしそれが悪意や憎悪に変わって他者に向けられてしまう瞬間を何度も目撃した。僕は震災の被害と同じくらいそうしたことを悲しく思う。
この曲のメッセージだけを抽出すると、陳腐、もしくは説教臭く思うかもしれない。
だが奥田民生は、しばしばやる気がないと言われる歌唱法であったり、ゆったりとしたアメリカンロック風の演奏であったり、肩の力が抜けた絶妙な言葉遊び等によって、聴き手の感情をフラットにするのが非常に上手い表現者である。
マジに受け取られるとなればすぐに逃げる。能天気な歌ばっかだと思えばたまに核心を突く言葉が混じってる。メロディーメイカーとしての才能は言うまでもなく、そのバランス感覚にも優れている稀有なソングライターだ。
次々に降りかかる困難でパニックを起こしてしまいがちな今だからこそ、彼の歌は一息入れて落ち着かせてくれる温かいお茶のように機能するかもしれない。
2.中村一義
「ERA」
このアルバムが出た当時はちょうどミレニアムのタイミングで、世界的に無邪気な祝祭ムードとノストラダムスの予言に基づいたヒステリックな終末ムードが大衆の気分を支配していた。
1999年頃僕が聴いていた音楽といえば、Nine Inch Nails、Pavement、Blur、Mansun、Rage Against The Machine、Fiona Apple、Red Hot Chili Peppersといった感じで、人生で最も邦楽を聴かない時代だった。
2000年に出た、くるり、ナンバーガール、スーパーカー、椎名林檎のような邦楽新世代の2nd、3rdアルバムやスピッツ、奥田民生のようなベテランが久々にモノにした傑作のおかげで洋邦偏りなく聴けるようになったのだが、この年は何と言ってもRadioheadのKID Aと中村一義のERAが同時期に出たということが大きい。
前者は多国籍企業による自由経済がもたらす搾取や、大企業同士の合併による市場独占、メディア買収といった経済ベースの支配的行為が、途上国を苦しめ続けていることへの警鐘と、自分の消費活動もそれに加担しているのだという自責の念、でももう止められないんだという諦念までを表現した。
後者は90年代後半の景気悪化に伴い、閉塞感に支配されるようになった日本人の無気力さと想像力の欠如、またはその状況を利用してアメリカと歩調を合わせるように弱者切り捨て型の資本主義国家へと巧妙に移り変わろうとする国家、終わることのない戦争。その全てを激しく嫌悪し、怒り、それでも自分は違う道を行くんだという強い決意を表明した作品だ。
僕の中でその2作品に優劣はなく、どちらも大切な存在であり続けているが、今回の震災後、特に中村一義のERAは自分にとってまた重要な意味を持ち始めている。
夢に見える構想の裏で、タネ、まこう。目に見える闘争の裏で、タネ、しこもう。
今、こうして、まいたタネも、全部、潰されんのかなぁ。
「オレ、バカでも、ミがなるなら・・・」って思う奴もいるんだぜ。(ピーナッツ)
あんただって、いたろ?腐りきって、臭ったルールの中に。
あんただって、見たろ?上の方で、手ぇ汚さないあの辺。(メロウ)
へいき?あそばれてんだ、見えない奴に。へいき?ただ楽しいってだけじゃ死ぬぜ?(虹の戦士)
また寝てたの?なぁ、ループ野郎。ホント、起きろよ。妙な夢想を、もう捨てろよ。(ロックンロール)
クロだったものも、シロに化かす、ホント、素晴らしき世界だね。忌まわしき世界だね。
さようなら。ここで降ろしてくれ。たださ、僕はこの両足でね、これで・・・、
歩きたいんだ・・・、わかるかなぁ(素晴らしき世界)
僕らの多くは、今回の震災によって原発の危機に晒されるまで、気づいてなかった。いや、興味すら持っていなかった。
国や企業の原子力政策が、嘘で塗り固められた歴史を歩んできたという事実に。
ただ、そうした事実を知った人達がtwitterなどで今更糾弾し出す、もしくは行動を伴わぬ批判だけに終始するというのはどうかと思う。
恐らくそれではブームのようにいずれ収束していくんじゃないか。
今必要なのは、単に国や企業を責めることだけではなく、原発問題に限らず自分たちが見過ごしてきたことを確認し、他人のせいではなく一人一人の責任だと捉えること。
そしてデモや署名運動などの活動も長期継続的にやるんだという意志だと思う。
政治家に期待しすぎてはいけない。もちろん変化を求める為に選挙に行くことは重要だ。
でも民主党だろうが自民党だろうが、あるいは他の政党のどこが政権を握ろうと、首のすげ替えでしかないことを皆知っている。
逆に言えば誰がトップになっても、自分たちの目で見て耳で聞いて、考えて決める態度が必要なのだと思う。
この先そういう場面は増えてくるだろう。その時に、自分の利を主張するだけの馬鹿にならずに他の誰かを想像しながら話し合うことが、僕らに出来るだろうか。
中村一義のERAに関しては、歌詞の一部を抜粋するだけではどうしても伝え切れない部分ある。出来ればレンタルでも何でもいいので実際に聴いてほしいが、最後に「ゲルニカ」という曲だけ動画を貼っておくことにする。
“死んだふり・・・?”の後に何と言っているか、その説明まではしない。
3.佐野元春
「警告どおり計画どおり」
当然かもしれないが、原発問題は昔から取り沙汰されてきた。
アメリカでは1960~70年代に原子力発電の商用運用が盛んに試みられたが、1979年のスリーマイル島原発事故を契機に反原発の声が高まったことで新規原発の建設を停止していて、原子力発電自体が過去の遺物となっていた。
しかし2001年にブッシュJrが原発推進の方針を打ち出し、あのオバマも福島原発事故後にも拘わらず改めて原発推進路線を強調。地球温暖化の緩和と効率的なエネルギー開発の両立という考えの他に、政治家やメディアの利権が強く絡んでいる為、今後もその動きは注視していかなければならない。
今回の事故以前で世界的に最も反原発の声が高まったのは、やはりチェルノブイリの時である。
日本のミュージシャンでも忌野清志郎やブルーハーツなどが直接的に反原発を表現した。
世間に与えたインパクトではその2組に及ばないかもしれないが、ここでは佐野元春を取り挙げたい。
もう不確かじゃいられない 子供達が君に聞く 本当のことを知りたいだけ
ウインズケール スリーマイルズ・アイランド チェルノブイリ
すべては警告どおり(警告どおり計画どおり)
終りは来ないと つぶやきながら 眉をひそめてる君
クレイジーに傷ついて どこにも帰れない やがて滅びるまで何もせず
ただおとなしく見つめてるだけさ”(警告どおり計画どおり)
これは当時、佐野元春がやっていたFMラジオ番組で原発問題について言及した際に圧力がかかったことを受けて、言論封殺に躍起になる行政やマスコミなどのメディアへの皮肉を込めたシングルとして発表された。
RCサクセションなどが反原発をどこかシンボリックに、そして主観的に訴えたとすれば、佐野の場合はそれを取り巻くシステム全体へのクールな批判である。
「99 BLUES」
そしてもう一曲、「99 BLUES」。
元々は、様々な問題を抱えているにも拘わらず、そうしたことにどこまでも無関心で、虚構の幸福や安い愛ばかりを追い求める人々、そしてその生き方の窮屈さを冷めた視点で描いた曲だ。しかし佐野元春はこの曲をライブで演奏する時に、歌詞にない言葉を付け加えている。
警察が少しずつ強くなる 闘う前に潰される
何処へ行くデモクラシー 何処へ行く自由
このフレーズが入ることで、自分たちが平和ボケしている裏で静かに権力側の力が強くなっていくことへの警鐘の意味が加わる。
動画を見てもらえば分かると思うが、曲自体はとてもダンサブル。
かつてThe Whoのピート・タウンゼントが言った、
「ロックンロールは我々を苦悩から逃避させるものではない。悩んだまま踊らせるのだ。」
という言葉を思い起こす。
99 BLUESのヒップホップヴァージョン
曲が始まる前の「僕はどの政党もどのパーティーも応援しないけれども、今日は選挙に行こう」に痺れる。
佐野元春は今回の地震直後、自分のウェブサイトで詩を発表した。
そちらも合わせて読んで頂けたら幸いだ。
4.ザ・ブルーハーツ
「人にやさしく」「ザ・ブルーハーツ」
ブルーハーツに特別思い入れのない僕みたいな人間でも、この1stアルバムだけは別格。
これ以降にも素晴らしい曲はたくさんあるのだが、あくまで曲単位での話。アルバム通して一切無駄がなく、メロディーは粒揃い。録音も古さを感じさせない。
そして何より言葉。世界や人間への冷めたニヒリズムを持ちながら、凄まじくピュアでもある。
よくリアルタイムでブルーハーツを聴いてたおっさんが偉そうに、そして自慢気にこれが本当のパンクだとか中高生は全員聴くべきとか語っているけど、そういう奴に限ってバンドブームの文脈でしか捉えてなかったり、もう新しく出てくる音楽を聴いてないような引退野郎が多いので無視していい。
ここでは初期の彼らの魅力として、①誰もが狂おしい気持ちになってしまうような底なしのラブソング、②お仕着せの価値観への拒絶と何者にも揺るがされない誇り、という面を挙げたいと思う。
気が狂いそう やさしい歌が好きで
ああ あなたにも聞かせたい(人にやさしく)
このメジャーデビュー前のシングルで甲本ヒロトが「気が狂いそう」と歌いだす瞬間。それが全て。
この一言だけで、世の中に腐るほどあるエセ・ラブソングを皆殺しにする力がある。
どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が
ふるえる程 大事件さ 僕にとっては
原子爆弾 打ち込まれても これには かなわない(NO NO NO)
僕 パンク・ロックが好きだ 中途半端な気持ちじゃなくて
本当に心から好きなんだ 僕 パンク・ロックが好きだ(パンク・ロック)
カッコ悪くたっていいよ そんな事問題じゃない
君の事笑う奴は トーフにぶつかって 死んじまえ(ダンス・ナンバー)
好きです 誰よりも 何よりも 大好きです ごめんなさい
神様よりも 好きです”(君のため)
狂ってしまいそうな程悩ましく、邪魔する奴は殺してやりたい。でも爆弾なんかの恐怖や絶対的存在をも小さくしてしまうような、君への圧倒的な気持ち。それを伝える方法を死ぬ程考え抜いた末にやっと出てきた言葉が、結果的にシンプルになってしまった。
それがブルーハーツのラブソングを聴くという体験なのではないか。
誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない 真実を握りしめたい
僕等は泣くために 生まれたわけじゃないよ
僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ(未来は僕等の手の中)
戦闘機が買えるぐらいの はした金ならいらない(NO NO NO)
誰の事も恨んじゃいないよ ただ大人たちにほめられるような バカにはなりたくない(少年の詩)
見えなくなるより 笑われていたい 言えなくなるより 怒られていたい(裸の王様)
ドブネズミみたいに美しくなりたい(リンダ リンダ)
前述したようにここには、お仕着せの価値観への拒絶と何者にも揺るがされない本物のプライドがある。
甲本ヒロトが吐き捨てるように「いらない」と歌う時、力強く「したい」と歌う時、僕はとてつもなく高揚し、体の内側から力が漲るのを感じる。それは反抗心というより、ここに生き方の覚悟の強さを見るからだと思う。
甲本ヒロトや真島昌利が今もあんなに痩せているのは、ロックンローラー的外見の美学というだけではなく、きっと無駄とか不必要の基準が変わってないからでもあるはず。
5.スピッツ
「スピッツ」「名前をつけてやる」
さて、今は本当に大変な時期で、しかもどうやら「今は」じゃなくて、今後100年以上大変になるだろうと考えられている。
・・・よね?
もちろんその重い現実と向き合って生きていくんだけど、僕みたいな凡人はそればっかりじゃきっと発狂してしまうと思う。たまには現実逃避したい。もう、疲れた。
そこで登場するのが愛するスピッツ。
一応初期のアルバムをテーマに挙げているが、わりと最近のも紹介させてください。
好きすぎて時期限定的に書くのは難しそうです。
おまえの最期を見てやる どうせパチンとひび割れて
みんな夢のように消え去って ずっと深い闇が広がっていくんだよ(ビー玉)
これは心中相手の女に向けて男が話しかけている状況。
天国で会えるよとかじゃなく、死んだらあるのはただの闇だから心配するなということ。
ドラマでも映画でも死は物凄いカタルシスでもって描かれることが多いが、マサムネは死に対してのオブセッションを人一倍持っていても、それを過剰にドラマチックにしたりはしない。
それにしても「お前の最期を見てやる」って究極の愛情表現だよね。
他にも「名前をつけてやる」とか「猫の顔でうたってやる」とか。
愛と希望に満たされて 誰もかもすごく疲れた
そしてここにいる二人は 穴の底で息だけしていた
そこで二人は見た 風に揺れる稲穂を見た
朽ち果てた廃屋を見た いくつもの抜け道を見た(死神の岬へ)
僕は今回の震災後、何故だかこの曲のことを一番最初に思い浮かべた。
地震や津波で何もなくなってしまった光景と、ここで描かれている世界が被ったからかもしれない。
もし世界が滅んでしまっても、僕はこの二人のように生きたいと思う。
原発30km圏内での生活はやはり特殊ではある。でも、絶望の向こう側といったら大袈裟かもしれないけど、今そういう感覚なんだよね。
原発問題の行く末のこと考えると、漫画版のナウシカも思い出す。
漫画版の物語を分かりやすく説明してあるのを見つけたので貼っておきます。
今はまだ諦める段階じゃない。やれることはやっていきたい。
でももう止められない状態になって、明らかに駄目だと分かってしまうようなタイミングが来るとして、どうするか。
どうもしない。その中で生きていくしかないから。
それでもきっと、くだらないことで笑ったり、泣いたり、夢を見たりするんだろう。
スピッツの初期2枚のアルバムを聴いているとそう思えてくる。
草野マサムネの書く詩はあの9.11以降、命を祝福したり、強く生きるという決意を表明するようなものが増えてきた。言葉のセンスは変わらずとも、弱く儚い一瞬の輝きにも似た表現をしていた初期の頃とはほとんど別のバンドだと言える。
ただ、そちらを紹介する前に、2000年に出た「隼」という傑作に関しては、素晴らしいラブソングはもちろん、草野マサムネ特有の虚無を前提とした世界観も強く感じさせる最後のアルバムになっているので、その中の言葉を書き出しておきたい。
半端な言葉でも 暗いまなざしでも 何だって俺にくれ!
悲しみを塗り潰そう 君はどう思ってる?(さらばユニヴァース)
はじめから はじめから 何もない だから今 甘い手で僕に触れて(甘い手)
君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ(8823)
もしも君に会わなければ もう少しまともだったのに
もしも好きにならなければ 幸せに過ごせたのに(Holiday)
別にかまわないと君は言うけど 適当な言葉が見つからない
ジュテーム・・・そんなとこだ
君がいるのは イケナいことだ
悩み疲れた今日もまた(ジュテーム?)
そして次の「三日月ロック」以降からは、前述したように比較的メッセージ性の高い曲が多くなっていく。
夜を駆けていく 今は撃たないで 滅びの定め破って 駆けていく(夜を駆ける)
あきらめないで それは未来へ かすかに残るけもの道
すべての意味を 作り始める あまりに青い空の下
もう二度と君を離さない(けもの道)
混ざって 混ざって でかすぎる 世界を塗りつぶせ
浮いて 浮いて 浮きまくる 覚悟はできるか(みそか)
優しかった時の 心取り戻せ 嘘つきと呼ばれていいから(群青)
現は見つつ 夢から覚めずもう一度(漣)
同じこと叫ぶ 理想家の覚悟(ビギナー)
「愛してる」この命 明日には 尽きるかも
言わなくちゃ 言わなくちゃ できるだけまじめに(つぐみ)
僕個人の趣味でいえば、もっとシュールな歌詞の方が好きだ。
でも彼は今こういう表現をしなければならないと信じてやっている。
「さざなみCD」の時のインタビューでは、「弾き語りでも成立するような歌を作りたい」というようなことを話していた。
想像を掻き立てるような歌より、直接的に届く歌。と聞くと、ブルーハーツのことを思い出す。
元々彼は若い頃、ナゴムレコードに傾倒していて、自身も難解で奇天烈な言葉を使って曲を書いていた。そこにメジャーに行く前のブルーハーツが突然登場した。
「人にやさしく」に衝撃を受け、自分のやっていることが無意味に思え、彼は一時期音楽を辞めてしまうのだった。
その後試行錯誤し、ブルーハーツの「シンプルな日本語を使う」というアイデアだけは受け継ぎつつも、自分のスタイルを確立することに成功した。
いま振り返ると、草野マサムネの作詞家としての独特な感じは、もしかしたら二枚目の『名前をつけてやる』で終わっているかもしれない。
あの頃は、俺以外にこういう詞を書いている人はいないだろう、という自負があった。
遠藤ミチロウさんのようにシュールな歌詞をロックに乗せて歌っている人はいたけど、そこにメルヘンも入れて、というのが自分なりのオリジナリティだった。
歌詞の参考にするために、大正期のダダイズムの詩人の詩集を読み漁ったり、アイヌのお祭りに行ってみたりとか、およそふつうのロックバンドの曲の 作り手が着目しないものに目を留めていた。」(スピッツ「旅の途中」幻冬舎 より抜粋)
作詞家としての個性が初期で終わってるとは思わないが、本人は上記のように分析している。
実際、今でもシュールでメルヘンな内容の曲もある。でも明らかにまっすぐなメッセージ性の比重は増えた。
その意味でいうと、音楽性と関係ない部分でまたブルーハーツの方に向かっているのかなと思う。
その是非はともかく、今は、彼らが音楽の中でさえシリアスにならざるを得ない時代なのだということ。
ああ、現実逃避の象徴としてスピッツを取り上げたつもりだったのに、結局こんな着地をすることになってしまった。
まあでも、家がなくなっちゃった人や、原発20km圏内で帰ることすら出来ない人と比べたら、まだ僕は本当に元気。こんな状況でも楽しみは捨ててない。
* * *
この原稿を書き始めたのが4月13日で、締めに入ろうとしてる今が4月21日になったところなので一週間以上かかった。
今僕の家ではネットが繋がっておらず、微弱な公衆無線を拾って辛うじてアクセスしている。
切断・接続の繰り返しなので、youtube動画の検索などに手間取ってしまった。
あと単純に文章が長い。
そして長くなったのは、この企画が屋内退避で休業中の僕のちょっとした生きがいになってくれたからかもしれない。
